仙台市議会議員

渡辺ひろしのブログです。

 
新春のお慶びを申し上げます。
皆様方には新しい年を迎え、
新たな気持ちでご出発をされたことと
拝察いたします。

政権が変わり、日本復興に向けて
国民の期待は高まりつつあります。

このままでは日本はダメになってしまうと
危機意識を募らせていた一人として、
私も日本再建に向けて共に歩んで参りたいと
念願しているところです。

今年一年の国家の弥栄と国民一人ひとりの
お幸せを僭越ながらお祈りいたします。


仙台市議会議員
 渡辺 ひろし

                 
 



政治家は

決断と実行,そして責任

です。

今後も市政一貫を貫きます。

このブログには日常のこと市政に関すること

或は心に浮かぶ由無しごとを書き綴ります

.
詳しくは渡辺ひろしホームページ


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速やかな復旧・夢のある復興
そして
未来に生きる子供たちのために
全力投球
お約束いたします
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任期満了まで残り
1088日と
5442.00
です

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2013年03月17日

心励まされる話し


生命之光誌は毎月ご好意でご恵贈頂いております。私はキリスト者ではありませんが、人生のヒントを頂いていて感謝しています。今月号に、心打たれる記事がありましたので是非紹介いたします。

引用始め



この人に聞く(後編)
 
永 遠 の 生 命 の 準 備


 
 
森口 幸雄
聞き手 長原 眞

 前号に引き続いて、ブラジルのポルトアレグレにお住まいの森口幸雄さんのお話を掲載します。森口さんは、本誌の読者です。かつて清泉女子大学の教授であり、ローマ教皇の医学顧問をしておられました。その後、招聘されてブラジルに渡り、現在は南リオグランデ・カトリック大学の医学部大学院の教授です。

― 先生はなぜブラジルに移住されたのですか。

森口 いくつかの理由がありました。結論から申しますと、ポルトアレグレにあるカトリックの大学から、当時、清泉女子大学の教授をやっていた私に、
「ブラジルに来て、ラテンアメリカで初めての老人医学教室を作ってください」という要請がありました。

 私がローマ教皇の医学顧問をやっていたことや、日本でいちはやく「老年医学会」を立ち上げて啓蒙的な活動をしていたことなど、私のすべてを大学の総長が調べあげたうえでのことでした。
 私は、その申し出を喜んでお引き受けし、ブラジルに来ました。それが、1971年3月のことです。

森口 幸雄氏
年をとることの科学

― 老年学というのは、どういうものなんですか。

森口 老年学の定義は、年をとることの科学、サイエンスです。人は年をとると心身にさまざまな変化が出てきます。そういう老年期の病気や治療法を研究する老年医学から出発して、しだいに心理学や社会科学を含めた総合的研究へと進んできました。
 たとえば家族内でも、老化してくると、尊敬されなくなったり、疎んぜられたりします。経済的因子もあります。年金がある人は安心ですけれども、年金がない人や生活保護の人たちは、老後が心配でしょう。
 最後は霊的、スピリチュアルなものです。これは日本語によく訳せないけれど、人生の悩みや病気の苦しみ、死の恐怖といった、人間という存在の根源にかかわるようなものが、スピリチュアルなものです。
 簡単に例を挙げますと、私が、ある日本人のお葬式に行ったときのことです。ミサが終わって教会を出ますと、70歳くらいの老婦人が私を待っていらした。見たら、昔の私の患者さんです。その方が、
「先生にお礼を言いたいのです。先生がご存じのように、私は乳がんの末期で、肺にも子宮にも転移して、治る見込みがありません。けれども、毎日教会に行って、祈りのなかで、今、永遠の生命への準備をしています。それが何よりもうれしい」と言われる。
 肉体的にはゼロです。社会的にもどこにも行けない。心理的にも楽しみがない。今あるのは、永遠の生命への準備、祈りの生活です。他のものが全部ゼロでも、霊的に、スピリチュアルに生きることができる。これは神様の大きな恵みだと、私は思ったんです。

スピリチュアル・ケア

― 日本の医学界で、そういうスピリチュアルなことを言っても、聞く人は少ないんじゃないですか。

森口 そんなことはないですよ。わかってくれます。先日、日本の大学から呼ばれて、講演をしたことがあります。そのとき、さまざまな実例を示しながら話したのですが、講演が終わったら、信仰のない人でも、
「私は教会に行ったことはありませんが、今日は、一生のうちでいちばんいい講義を受けました」と言って喜んでくれました。
 私は毎年「老年医学会」に出席するため、日本に行きます。その学会に、聖路加国際病院の日野原重明先生が、かならず招待されて特別講演を頼まれるんです。日野原先生はスピリチュアル・ケアの話をされます。その話ができるのは、日本では日野原先生だけです。
 スピリチュアルなことは、とても大切です。日本人は神道的、仏教的、儒教的なものをもっていますから、そういうことを聞く能力があるんですね。

― 先生は、どうして老年学が大事だと思われ、生涯の研究テーマになさったのですか。

森口 私が大学を卒業したのは、1948年です。今から64年前です。そのころ日本では、結核でどんどん人が死んでゆきました。当時はまだ、結核の特効薬が日本にはありませんでした。
 ところが、ヨーロッパに留学して知ったのは、向こうでは結核で死ぬ人はほとんどいないということです。ストレプトマイシンといった抗生物質ができたおかげで、早期に治療するとほとんど治ってしまう。
 これからは伝染病のような、ばい菌による病気ではなくて、細胞の退行性変化による病気、たとえば、脳溢血、高血圧、動脈硬化、心筋梗塞、がんといった病気が主になってくる、と思ったのです。それで、帰国してすぐに、老年学をやるようになりました。

 ルルドへの巡礼

― 先生の永い間の信仰生活で、忘れられない体験がありましたら、お話ししていただけませんか。

森口 私は、フランスのルルドへ巡礼に行ったことがあります。ルルドの泉では、奇跡的な治癒が起きると信じられていて、多くの巡礼者が訪れます。私は、そんな奇跡は信じていませんでした。ところが、ミラノ大学に留学していたとき、友達から、
「今度、ルルドへ巡礼列車が出るけれど、みんな重症患者ばかりなので、医者がついて行かなくちゃいけない。君、ボランティアでやってくれないか。旅費や食事代、ホテル代はいらない。そのかわりにお礼も出さない」と言われて、行くことにしました。
 1956年2月、寒いときでした。
 私の担当の一人は、18歳の女の子でした。列車に担架で運ばれて入ってきました。お母さんがついていました。その子は1歳のときに痙攣性小児麻痺になって、ずっと横臥したままで、一度たりとも起きたことがありません。食事は寝たまま、お母さんに食べさせてもらい、下の世話をはじめ、すべてのことをお母さんにしてもらっていました。医学では絶対治りません。
 ルルドでは、集まった4千人が夜、ロウソクを持って、『アヴェ・マリア』を歌いながら庭を回りました。

神に聴かれた女の子の祈り

 1週間のルルドの巡礼が終わり、全員列車に乗り込み、列車が動きだしました。そのとき同僚が、
「あの小児麻痺の女の子に奇跡が起こった」と私を呼びに来ました。行ってみたら、その子が腰掛けているじゃないですか。私は驚きました。あれっ! つい昨日までは寝たっきりだったのに……。
「立てる?」と聞いたら、
「立てます」と言って立つんです。
「歩けるか?」と聞いたら、
「歩けます」と言うんです。
 一回も歩いたことがないんですよ。歩くじゃないですか、一歩、二歩、三歩……と。私はビックリして、
「いつから治ったの?どういうお祈りをしたの?」
と聞いたんです。その子が私にこう言ったんです。
「『神様、私の病気が治らないことはよく知っています。私のような者をかかえて、世界じゅうでいちばんかわいそうなのはお母さんです。私はどうなってもいいですから、お母さんを幸福にしてあげてください』と祈りました。すると私の体が急に柔らかくなって、動くようになったんです。ひざが曲がるんです」
 神様が祈りを聴いてくださった。私はその女の子から、人は、どういうお祈りが大切かということを教わりました。旧約聖書に書いてあるように、神は人を神の似姿として創られた、というのは本当ですね。その女の子は、何の教育も受けていない、祈りの仕方も知らないのに、そういうお祈りができたんです。
 そのとき、私の受けた霊的ショックは、忘れることができません。私にそのような信仰体験を神様がさせてくださったのは、ひとつの恵みですよ。
 信仰は、人に仕えること。その恵みに対して、万分の一でもお応えすることじゃないかと思います。

― 今日は、ほんとうにありがとうございました。

引用終わり
posted by 渡辺ひろし at 13:12| 日記

八景島シー パラダイス

午後から、横浜市内八景島シーパラダイス訪問、視察をしてまいりました。社長はじめ幹部がお迎えいただき、概要説明そして園内案内と三時間ほど時間をかけて頂きました。

開園二十年、横浜市の要請を受けてスタートし事業と初めて知りました。企業としてのあり方の中に社会貢献がきちんと謳われているのには驚きました。そして実践してきての二十年ですから奥が深い経営の歴史があります。

社長の真剣さと誠実さにまず感動しました。話すことに掛け値なしですね。東北の復興に貢献したいという願いは付け焼刃ではなく、震災直後からの実践が証明しています。

仙台市民の姉弟ばかりではなく、宮城県ひいては東北の幼少青そして成人のレジャーと学びの場になる施設の完成が楽しみです。これから越えねばならないハードルハ幾つかありますが、頑張って頂きたいと思います。

宿に着いたのが、八時半過ぎちょうど持参したおにぎりと茹で卵で腹ごしらえを終えて‘’バタンキュウ‘’良い出会いと夢のある話をお聞き出来た良い視察になりました。
posted by 渡辺ひろし at 00:00| 日記
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